仏心と武士道と宇宙の原理

( Samurai Road )

日本は一神教の国ではありません。

森羅万象にさまざまな神々を感じて生きています。

白隠禅師は
「私たちは本来「仏」です。しかしそれを知らないで遠くに求める人が多いのははかないことです。仏心は自分自身にあることに気づかなければなりません」と申されております。

人は満たされない心に惑わされている。

心を磨かないで毎日を過ごし、本当の自分というものを知らないで人生を終えているのではないかと思うのです。
私たちは自分を省みて、自分の本当の心の存在に気づくことが重要だと思います。
私は仏心と武士道と宇宙の原理(万物太極の理)には同根のものがあると考えております。
武士道は主にサムライが生死をかけた戦いの中で培われ、日本の歴史の中で醸成されていった道念です。
ここで、その武士道の体現者で提唱者の山岡鉄舟(1836年~1888年)をご紹介したいと思います。
なぜならば「万物太極の理」を会得した人物だからです。

人類にとっても明記すべき一人だと思うのです。
ですので山岡鉄舟の提唱する武士道について、記することは私の喜びです。
ただ私は山岡鉄舟を長年、研究しておりますが、武士道は非常に深遠な理です。
ですので私の理解不足などをお感じになることはあるかもしれませんが、ご了承をお願いいたします。
皆様からのご教授を賜ることがあればありがたいと思います。
なお敬称は略させていただきます。
よろしくお願いします。

山岡鉄舟によると武士道をこう説明しています。
「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。

鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」とあります。
そして剣法について以下のような簡潔な文章があります。
( ) 内は私の意訳ですので参考にしてください。
「夫れ、剣法正伝の真の極意者、別に法なし、
(剣法正伝の真の極意というものは別に法はありません)


敵の好む処に随いて勝を得るにあり。
(敵の好む処に随って勝を得ることなのです)

敵の好む所とは何ぞや。
(敵の好む処とはなんでしょうか?)

両刃相対すれば必ず敵を打たんと思う念あらざるはなし。
(真剣勝負で対決しようとするとき、必ず敵を倒そうとするはずです)

故に我体を総て敵に任せ、敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝といふ。
(しかしながら自分の身体をすべて敵に任せ、敵の好む処に来るに随い勝つことが本当の勝ちというものなのです)

譬えば箱の中にある品を出すに、まずその蓋を去り、細かに其中を見て品を見るが如し、是則ち自然の勝ちにして別に法なき所以なり
(例えて言えば、箱の中にある品物を出そうとするときには、まず蓋をあけ、細かにその中と品物を見るようなものなのです。これがすなわち自然の勝ちというのであり、別に法はないというのはそういうことです)

然りと雖も此術や易きことは甚だ易し、難きことは甚だ難し。
(しかしそうだとしてもこの術は簡単といえばとても簡単ですが、むずかしいことは非常に難しいのです)

学者容易のことに観ること勿れ。
(学ぶ人は容易だと感じたり思わないでください)

即今諸流の剣法を学ぶものを見るに、是と異なり、
(最近、いろいろな流派の剣法を学ぶ者を見ると、これと異なり)

敵に対するや直ぐに勝気を先んじ、
(敵に対するとき、すぐに勝ちたいという気持ちが先んじて)

妄りに力を以って進み勝たんと欲するが如し。
(妄りに力で勢い勝とうとするようなものです)

之を邪法と云ふ。
(これを邪法といいます)

如上の修業は一旦血気盛んなる時は少く力を得たりと思えども、
(このような修業は、一旦、元気のいい時には会得したと思うのでしょうが)

中年すぎ、或いは病に罹りしときは身体自由ならず、
(中年や老年になったり、あるいは病に罹ったときは身体が自由になりませんし)

力衰え業にふれて剣法を学ばざるものにも及ばず、
(力が衰えてしまって、剣法を学んでいない人にさえかなわないものです)

無益の力を尽くせしものとなる。
(このように無益の力を入れようとしているものなのてす)

是れ、邪法を不省所以と云ふべし。
(これが邪法だと理解できず省みていないというべきでしょう)

学者深く此理を覚り修行鍛錬あるべし。
(学ぶ者は深くこの理を覚って修業鍛錬するべきです)

附して言ふ、此法は単に剣法の極意のみならず、
(申し上げますが、この法は単に剣法の極意だけではありません、)

人間処世の万事一つも此規定に失すべからず。
(人間の処世のすべてはこの規定から外れることはありません)

此呼吸を得て以て軍陣に臨み、之を得て以て大政に参与し、
これを得て以って教育宗教に施し、これを以って商工農作に従事せば、往くとして善ならざるはなし。

(この呼吸を会得して軍事に臨み、これを得てもって政治に関与し、これを得てもって教育宗教に施し、これをもって商業や工業や農業などに従事すれば本当により良く事は進むのです。)

是れ余が所謂、剣法の秘は、万物太極の理を究めると云う所以なり。」
(これが私がいわゆる、剣法の秘儀は、万物太極の理を究めることだと言っている所以なのです)

私は、スポーツではなく、互いが刃を向けて真剣勝負を行うことを想像しただけで、異次元を感じています。スポーツは緊張することはありますが、場合によっては楽しいものです。

しかしながら、先の命の保証がない真剣勝負においては、次元が違います。

人生は、一度きりのいつ死ぬか、いつかは死ぬ掟のものです。

すると、見えてくるかもしれませんよね。

ありがたい。

明治十五年一月十五日
山岡鉄太郎

以上です。


情報と幸せ

( Samurai Road )

「人はパンのみで生きているのではない」とキリストはおっしゃいました。

生きる上で大事なことを示してくださいました。

それは生活をしながら精神的な成長することを意味しているように思います。
私は世界の偉大な人たちを知り、学ぶことは精神的な宝物を目の前にしているのだと思います。
今や必要な情報は、いつでも手に入る時代です。

私たちにとって大事なものを見つけ、それを自分の学びにできることは大きな喜びとなるでしょう。
生きている意味と幸せの道を見つけるためには何が大事でどうしたらその本質を会得できるかにかかっています。

生活のためのお金儲けも大事ですが、本当の幸せを求めていくことはもっと大事に違いありません。

歴史上の偉大な人たちの教え、本物の持つ内実には、想像もつかないくらいの深奥と幸せの秘密を示しているのです。

ここは、人間の生きる上で心の根源で求めているものを会得し、活用するサイトです。

( Samurai Road )

人は生きることの中に心が求めているものがあります。

人生には悩みはつきものです。

人生やさまざまな病気で苦しんでいらっしゃる方も多いと思うので、私の経験と研究から、その解決方法の提案があります。 

私が長年かけて考案、開発し、名付けた「武士道心体法」(Bushido-Sintaiho)を活用することです。

宗教ではなく、心理学ではなく、医学でもありません。

これは、自分の生命の根源や使命を極めようとするところを意義とし特徴としています。

「本来の心」は無限の可能性を秘めているのです。

あなたにもある「本来の心」の存在に気づくことで変化を起こすというところに根ざしています。 

あなたの心が本当に求めていることを会得し活用するのです。

古の偉大な教え、武士道を基礎とした身体心理療法の登場です。

「本来の心」って何でしょうか。 

私は幼いころ、死ぬと思えた病を克服するまさにそのときにその「本来の心」からのインスピレーションを受けました。

そのときの驚きは不思議なものでした。

いままでまったく考えもしていなかった感情と言葉が出たのですから。

私は寝たきりの状態から、四つん這いになって動き出せたのです。

そのころから私は、「生きること」について関心を持ち、現在も研究を続けているのです。 

「自分の生きる意味」を心で読みとることに行きつきました。

あなたが「武士道心体法」という幸せの体験手法により気づきを得れば、感受性や身体の反応や生き方が変わっていくのです。

人生を楽しむのは素晴らしいことです。

輝かしい人生にしたいという抽象的な瞑想でも有意義になるかもしれません。

しかし、それだけでは、「人生の妙味」を感じにくいと私は思います。

もっとも大事なことは、悩みや困難を含む生活をしながら気づきを得て、心を育み熟成する体験をすることで、魂が成長することなのです。

一人ひとりに個性があるように、目的が違うように、夢や希望が違うように、成功の中身が違うように、生きることの「動機と気づき」の内容がそれぞれ違うのです。

「生きること」のさまざまな過程の動機、その妙味に気づきを得ることが大事だと思います。

人生の悩みやつらさは見方を変えれば、新しい自分に出会うチャンスです。

例えば、癌( cancer )になったとしましょう。

あなたは不安なままではなく、医者にすべてお任せするのではなく、自分なりの治療方法を選択できるのです。

「武士道心体法」は、自らが「心」、「身体」、「技」に武士道心体法的アプローチをする体験手法であり、身体心理療法になるのです。

「技」の内容にお金をかけることができますが、「武士道心体法」は基本的にほぼ無料でできます。

どこかの宗教団体のようなお金を巻き上げるようなことはありません。

世界の誰もが平等に幸せを獲得するチャンスがあるのです。

この体験手法を活用することにより、心や身体は変わっていくものです。

例えば「癌」や重い病を予防したり、徹底的に癒すことが可能です。

生命力、免疫力を継続的に高めることです。

寝たきりの人もあきらめないでください。

医者から「死の宣告」を受けた人も絶望することはありません。

寿命が来るまでは希望があるのです。

必要に応じて、体温検査や血液検査や分画検査 ( 詳細はご自分で調べてください ) をしてください。

私は医学を否定するものではなく、むしろ、より良い道へ発展することを願う者です。

医学は、多くの人々に恩恵を与えています。

特に応急や緊急医療などは目を見張るほど貢献をしていると思います。

しかし、すばらしい医学界や医療などがある一方で、多くの問題を抱えていることは調べておいたほうがいいと思います。

抗がん剤や長期使用する薬が免疫を阻害していくのであれば、お勧めできません。

ここでは、あなたに潜む可能性に気づくだけでなく、活用することができるサイトです。

悩みに迷い苦しむだけでなく、困難を得がたい経験にしていく、活用していくことが人生の意義あることです。

私たちは孤独ではありません。

私の考案した「武士道心体法」は、古を学び、活用して、健康や病気についてだけでなく、お金儲け、家庭円満、人間関係など、人生の質を良くして、現在だけでなく、老後だけでなく、死後も幸せになるための自らが行う体験手法です。

生きがいを求める方やご協力いただける方は、ご連絡下さい。

人のためになる仕事をご一緒にしましょう。

夜船閑話の内観の秘法を試すのと試さないのとでは人生が変わってしまう。

( Samurai Road )

客観的にも自分にとっても気分の良い状態の良い環境の部屋で布団などの上であおむけになります。

大の字に近いような様子でゆったりとして少しずつ体の力を抜いていきます。

どんどん体中の力を抜いていきますとさらにゆったりとしていきます。

まるで肉体のどこにも力が入っていないような感覚になります。

そうして今度は両脚を伸ばし気味にして力を腰から下の下半身に満たしていくようにしてみてください。

いわゆる丹田(へそから下のほう)といわれる付近から足先までを下半身としましょう。

疲れたら力を緩めましよう。

そしてできるだけ静かに自分なりに呼吸を少しずつ深くなるように練習してみましょう。

何度も何度も自分なりに深くゆったりと呼吸を続けていきます。

眠りたかったらいつでも眠っていいのです。

この意味は自分なりに体の力の抜き方と呼吸方法を練習しながら自分の悩みや病気のことも気になることも一切を投げ捨てて呼吸と下半身に意識を集中していくことになります。

そうして下記を繰り返し繰り返し内観するのです。

①わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れ、わが本来の面目、面目なんの鼻孔かある。

②わがこの気海丹田、まさに是れわが本分の家郷、家郷なんの消息かある。

③わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。

④わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。

言葉の意味がわからずともなんどもなんども繰り返し、想像し、観念し集中していきます。

病気の人や悩みを持つ人は日頃からどうしてもそれらの状況にとらわれてしまっています。

やむを得ないのですが、この機会にその意識を変えていく時間をつくることです。

動物も病気の時は、ほんとに静かに寝ています。

普段は近づくと反応するのにそういうときは死んだようにほとんど反応しないものです。

これも自然の知恵というものでししょう。

ですので私たちも一切の自分のことや周りのことを遮断するようにして、一心不乱に上記のことを念仏のように心の中で唱えるのです。

上記のような言葉でなくともいいのです。

あなたにとってどういう言葉を選ぶかは自由です。

ここでは窮地に陥った白隠さん自身の体験したことの趣旨を深く感じながら試してみてください。

比較や議論することよりもまず実践してみることが大事です。

何か事を行うときには一心不乱に行って体験してみることが必要だと思います。

集中し、深くなっていくと眠りにつくことでしょう。

それでよろしいかと思います。

きっとあなたのためになります。

私は幼いころから車酔いをしました。

小学校のある日、観光バスの日帰り旅行をすることになってしまいました。

私はとても動揺し、その日は学校に行くのをやめようと思いましたが、そのことを言い出すのも勇気のいることでした。

担任の牧野先生が私のことを気にかけてくださって、私が車に弱いことをご存じだったようです。

先生は「私の言うことを聞いて実行すれば車に酔わないよ」とおっしゃったのです。

そんなことで本当に車酔いをしないのかが疑問でしたが、やってみるしかしょうがありません。

当日、私は先生から言われたとおりに窓際に座り、窓から遠くを見続けることにしたのです。

左の窓際の席に座っていたので、いつも左向きで座っていました。先生は私の右隣に黙って座っておられました。

その日、私は一心不乱に実行し、バスの窓から遠くの風景を見続けることにしました。

それしかすべがないのです。

酔うのも吐くのもとても怖くて恥ずかしいことですから。

そうしておりましたら酔わなかったのです。

一心不乱にバスの窓から遠くを見つめているだけでした。

帰りのバスの中では、私は少し自信がつきました。

でも油断はできません。

いつまた気持ち悪くなって吐くかわかりませんから。

バスを降りるまでは油断できないのですから左の窓から遠くを見続けただけです。

酔わずに小学校に帰ることができたのです。

不思議と首は痛くないのです。

なつかしくうれしかった出来事でした。

亡くなった牧野先生のことを思い浮かんだら、私は心の中でお礼を言っています。

そして、私はその「ご恩に報いる」ためにも他の人へ「ご恩の繰り返し」をしたいのです。

きっとあなたのためになります。


日本の古から伝わるものは現代の私たちの悩みを本当に救えるのか

( Samurai Road )

日本の古から伝わるのものは、どうしてすたれてしまっているのでしようか?

というよりあまり表舞台に出ていないように見受けられます。

日本製品や日本食が世界的に広まっています。

自然を緻密に見つめ、自然を敬愛すると同様に自分を見つめ自然の本質と同化して極めようとする精神世界が見え隠れしています。

さらに進取のオリジナリティを求めています。

話はちょっと変わって、昔、渋谷界隈で女の子のガングロといっていいのかわかりませんが、特徴のある人たちがあまりわからないような言葉遣いなどをする人テレビ出演することがありました。

言葉遣いや態度は別として、私からすれば彼女たちが自分たちにあった言葉を作ろうとしてコミュニケーションをとることは日本人の進取の気性や彼女たちなりの互いに仲良くしようとする片鱗をのぞかせていたことにほほえましく思っていました。

ただ見た目にはあまり好きなほうではありませんが、オリジナリティはあります。

それに悪いことをしていないでしょ。

寛容な気持ちで見守りましょう。

いったいこんな小さな国がどうして、いろいろな意味で世界にも認められる国になっているのかを考える必要があります。

ひとたび私たちが海外に生活してみるとわかるような気がします。

やはり誰でも自分の国を離れると生まれた土地の文化を懐かしくなるものです。

そのようなことでより日本の文化に気づき、そして日本の文明の高さに改めて気づいていくものです。

そして日本人自身が自分たちの古から伝わる大事な精神世界をなおざりにしているように感じたのは、もしかするとそのすごさに気づいていないだけなのかなと思っていたのです。

病のときは人生のチャンス

( Samurai Road )

病のときにはつらいものですが、一方、何かをつかむとてもいい機会だと思うことです。

食事を大事にして、信じている医者や治療方法に従うことです。

ただし、本当に信じられる医師がいたとしたら。

特殊な病気など以外は、なるべく西洋薬を長期に続けることはお勧めできません。

よく調べたり相談してみてください。

自然を利用すること。

これがヒントだと思います。

また周りのことや仕事のことなどに気を使わないようにするべきです。

それにいろいろと心配してはいけません。

もう余計なことはしないと決めて、専心に

病と向き合い、自分の心を深く深く信じていくことです。


本当にありがたいボランティア

( Samurai Road )

ボランティアという細胞

災害が起きたとき、動き出すのは何でしょうか?

大きなものは民衆の動きです。これは国の組織ではなく国民の動きというべきでしょう。災害の前では国家組織からの支援だけでなくボランティアも動き出します。彼らは協調するのです。災害にあった人たちを助けるだけでなく気持ちを和ませます。

国の組織も民衆もすべてボランティアの意思があります。

それだけではなく現代では情報伝達が速いので世界からも援助やボランティアが動き出します。本当にありがたいことです。

災害で苦しんでいる人々、お亡くなりになった方々、行方不明の人々、災害にはたくさんの不幸が生まれます。

私たち日本は災害の多い国です。

しかし災害にあった人々も支援もあり次第に心を落ち着かせていくことでしょう。

では病気になったときはどうでしょうか?

人生で危機に陥ったときはどうでしょうか?

お医者さんやカウンセラーや相談所に相談することでしょう。

でも考えてください。病気のときには体の中で組織的に体を守ろうとしているのです。

しかしそれでも病気になってしまいました。

おそらく大変な努力で、まるでボランティア的に助けていることに変わりはありません。

本当にありがたいことです。

そのような身体内部の働きにあなた自身はどう思いますか?

世の中の苦しんでいる人や池江璃花子さんへ

( Samurai Road )


2019年2月12日にTwitterで白血病であることを明かし、治療に専念しているという水泳選手の池江璃花子さん。

その翌日には「今は、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えて頂きながら戦っていきたいと思います」と病気と戦うことをあらためて告げていました。、、、、

というニュースを見ました。

もし可能ならば私のブログを見ていただければと思いますが、もし読まれたならば、

ご理解いただければと思います。

まず病気と闘うという思いはやめたほうがいいのではないでしょうか?

病院で治療をすることは大事なことです。

負けたくないというお気持ちはわかります。

しかしこの機会に大事なことを気づいてほしいと思います。

私から言えば、病が生じたのは因果関係の結果で池江さんの肉体に生じています。

ですので自分の体に生じた病気に対して敵という観念はやめたほうがいいのです。

理屈的にもう少し詳しく説明することもできますが、要は自分の体にできた病気というものは、因果関係があり、すでに自分の体内に存在していますので、内部に存在する敵と戦おうということになります。

それまで内在はしていたけれど表面化してきて活動盛んにしようとしている存在に対して勝利しようというお考えよりもまずその現況を受諾することから始めるのです。

治療もクスリなどを使用することでしょう。

その薬や治療方法に効果があるかもしれません。

しかし全面的にそうとは言えないこともありえることでしょう。

そうとうしんどいことがありえます。

いつか耐えきれないかもしれない。

戦うということは負けることもあるかもしれない。そうすると不安がよぎってくるのです。

ではどうすればいいでしょうか?

一例で申し上げれば、インドのガンジーの言動を参考にしていただきたいと思います。

ガンジーは当時のインドの悪徳側からの圧力や暴力に対してどのように対処したでしょうか?

そうです。非暴力です。

ガンジーのそのような根気はどうして続けることができたのでしょうか?

現実を受諾し、客観的冷静な目で本質を見据えながら行動していたのです。

そしてその結果、民衆だけでなく世界の民衆をも味方にしたのです。

そうしていくうちに悪徳側のほうから崩れていったのです。

病気の時は、安静と食事がまず第一。

周りの人たちへの気を全く使わないことです。

また周りの人たちは病人に気を使わせないように努めなければなりません。

そして自分の信じている医者や治療方法にのっとります。

いろいろな薬を続けるのは要注意です。

自分なりにネットで調べることができます。

できるだけ自然な物を活用することをお勧めします。

一方の心の持ち方を変えます。

方法はいろいろとありますが、単刀直入に言えば心の力を信じることです。

ですので自分との戦いということはあるでしょうが、病気と戦うということではないのです。

癌でもそうですが、その組織と戦って勝ちたいというよりも癌と共存していくうちにいつしか、がんがいなくなっていったというイメージなのです。

古道的には「戦わずにして勝つ」ということもあります。

どうか世の苦しんでいる人たちや池江さんにも届きますように。

心の奥への旅していくとあなたの本当の姿が見えてくる

( Samurai Road )

「無」というものと内観の秘法は繋がっていると思いますが、どういうことでしょうか?

共通するのは、集中していくうちに心の奥へと進んでいくことでしょう。

はたして心の奥にあるものは。

見性悟道を私たちはできるのか?

無とはどういうことなのでしょうか?

こんなに忙しく生活しているのに「無」なんてなんなんだ。

私たちの生活しているのに「無」なんて関係ないだろう。と思えます。

生きることの苦しみを抱えている人もいるかと思います。

もしかするともっと深刻な人もいるかもしれません。

どうぞその前に私の話を聞いてみてください。

1836年生まれの武士である山岡鉄舟は江戸に生まれます。

サムライの鉄舟は9歳にして撃剣の道を志し、13歳のころより禅学を好んだようです。

書は幼年のころより学んでいます。

鉄舟が幼年のころからのことを記しているなかで、私がとても重要だと思われたのは

①父母からの話。

②山岡静山との出会い。

③浅利又七郎との出会い。

④各和尚との出会い。特に滴水和尚です。

⑤さらにたくさんの出会いがあるので、機会があれば、いつか記するつもりです。

鉄舟は剣の道の極致を求め13歳のころより禅に参じます。

禅の公案である「本来無一物」とか「無」とか十年以上ときをかけていますが、鉄舟はなかなか釈然としません。

禅学は武州柴村長徳寺の願翁、豆州沢地村龍沢寺の星定和尚、京都相国寺の獨園和尚、相州鎌倉円覚寺の洪川和尚、京都嵯峨天竜寺の滴水和尚に参じ最終的に滴水和尚の印可を得ました。

やはり先生を求めたのです。

浅利又七郎という人との試合では、「果たして世上流行するところの剣術とは大いにその趣を異にするものあり。

外柔にして内剛なり。

精神を呼吸に凝し、勝機を未撃に知る。

真に明眼の達人というべし」と語っていて、あたかも山に対するがごときで浅利に勝つ方法が見当たらないというのです。

真剣勝負ではどちらかが死ぬ可能性が高いのです。

ここに鉄舟が目指していた剣の道の本筋が見えてきます。

よくよく読むと現代の私たちの勝ち負けのスポーツや生活の態度や味方とは全く違う領域を目指していることに驚くのです。

武士という自分の立場でその剣の道の極致を感得したい。

そのためには自分の心の極致はどういうことなのかを感得する必要があることに至ります。
そこで鉄舟はそのために禅理を求めます。

そして剣法と禅理とを合わせ、それは帰一であると言っています。

しかし大悟する前は、何をしてもどうしても浅利に勝つ方法がわからないのです。

浅利は一つの大きな山のように鉄舟には感じられます。

勝負に勝つとか負けというだけのことではありません。
自分と浅利の真剣勝負においては、どうしても勝つことができない。

心の在り方はどうしたらいいのか、いくら模索してもわからない。

なんとかして心の作用やその根源を感得したいという問題にぶち当たっています。

そのために自分と天の領域の極致を求め修行しているという驚くべ人物の姿が浮きあがってくるのです。

ここに鉄舟の懐の深さと非凡なところがあるのではないでしょうか?

私は東京の谷中の全生庵で「鉄舟居士の真面目」という本を購入して読んでみると鉄舟の眼のつけ方が私たちとはまったく違うことに気づきました。

その鉄舟が、滴水和尚から、

「両刃鉾を交えて避くるをもちいず

 好手還りて火裏の蓮に同じ

 宛然自ずから衝天の気あり」

を与えられます。

鉄舟はこの句に非常に興味深く感じました。

すくなくとも「無」より具体的なヒントのように感じます。

鉄舟は喜び勇んで、この公案をどこでも毎日、考究し続けます。

しかしそれでもなかなかわからない。

そこに先に記した平沼専蔵(横浜銀行創業者)の話になるのです。

ある日、平沼専蔵が鉄舟のもとに訪れ、専蔵が自分の仕事の話をします。鉄舟は聞くともなしに聞いていました。

ところがそのどこかが、鉄舟の心の琴線にひっかかるものがあったのです。

鉄舟はその日以降、いつものように毎日、座禅をします。

そしてついに明治13年3月29日の夜から天地万物、無きの心境に達し、翌30日の夜明け、ふと我に返ったのでした。そのとき45歳でした。

鉄舟は、そのとき、いままでとは全く違う自分を感じます。大悟をしたのです。

鉄舟はすぐに弟子を呼び寄せ、試してみました。

弟子は鉄舟の前で立ち会いますが、目の前の鉄舟に「こんなことが人にできることなのか。

先生の前に立っていられません」と不可思議な状況を鉄舟に伝えます。

心や気はなんと不思議なものなのでしょうか?

鉄舟によればそのあとの自分の剣や禅だけではなく書もがらりと変わったそうです。

真の武士道も完成されていたのです。

ですので「無」というのは何もないということではありません。

私のような愚鈍の者は、いつも雑念から始まるものです。

しかし座禅をしていくといままでとは違う心境になってくることがあります。

でも座禅という形にこだわることはありません。

体が動かず寝たきりや病気の人でもできる有益な方法があるのです。

どちらにしても雑念から集中へを続けていくと無意識的な心の動きが訪れてきます。

いつしかふと我に返るとき、心持の良さが感じられます。

「雑念」から「無へ」の世界が深くなればなるほど心のすばらしさを感じられるものと思います。

ここに白隠の内観の秘法に通じるものが隠されているのです。

つまり「無」というものと内観の秘法は繋がっているのです。