( Samurai Road )
客観的にも自分にとっても気分の良い状態の良い環境の部屋で布団などの上であおむけになります。
大の字に近いような様子でゆったりとして少しずつ体の力を抜いていきます。
どんどん体中の力を抜いていきますとさらにゆったりとしていきます。
まるで肉体のどこにも力が入っていないような感覚になります。
そうして今度は両脚を伸ばし気味にして力を腰から下の下半身に満たしていくようにしてみてください。
いわゆる丹田(へそから下のほう)といわれる付近から足先までを下半身としましょう。
疲れたら力を緩めましよう。
そしてできるだけ静かに自分なりに呼吸を少しずつ深くなるように練習してみましょう。
何度も何度も自分なりに深くゆったりと呼吸を続けていきます。
眠りたかったらいつでも眠っていいのです。
この意味は自分なりに体の力の抜き方と呼吸方法を練習しながら自分の悩みや病気のことも気になることも一切を投げ捨てて呼吸と下半身に意識を集中していくことになります。
そうして下記を繰り返し繰り返し内観するのです。
①わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れ、わが本来の面目、面目なんの鼻孔かある。
②わがこの気海丹田、まさに是れわが本分の家郷、家郷なんの消息かある。
③わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。
④わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。
言葉の意味がわからずともなんどもなんども繰り返し、想像し、観念し集中していきます。
病気の人や悩みを持つ人は日頃からどうしてもそれらの状況にとらわれてしまっています。
やむを得ないのですが、この機会にその意識を変えていく時間をつくることです。
動物も病気の時は、ほんとに静かに寝ています。
普段は近づくと反応するのにそういうときは死んだようにほとんど反応しないものです。
これも自然の知恵というものでししょう。
ですので私たちも一切の自分のことや周りのことを遮断するようにして、一心不乱に上記のことを念仏のように心の中で唱えるのです。
上記のような言葉でなくともいいのです。
あなたにとってどういう言葉を選ぶかは自由です。
ここでは窮地に陥った白隠さん自身の体験したことの趣旨を深く感じながら試してみてください。
比較や議論することよりもまず実践してみることが大事です。
何か事を行うときには一心不乱に行って体験してみることが必要だと思います。
集中し、深くなっていくと眠りにつくことでしょう。
それでよろしいかと思います。
きっとあなたのためになります。
私は幼いころから車酔いをしました。
小学校のある日、観光バスの日帰り旅行をすることになってしまいました。
私はとても動揺し、その日は学校に行くのをやめようと思いましたが、そのことを言い出すのも勇気のいることでした。
担任の牧野先生が私のことを気にかけてくださって、私が車に弱いことをご存じだったようです。
先生は「私の言うことを聞いて実行すれば車に酔わないよ」とおっしゃったのです。
そんなことで本当に車酔いをしないのかが疑問でしたが、やってみるしかしょうがありません。
当日、私は先生から言われたとおりに窓際に座り、窓から遠くを見続けることにしたのです。
左の窓際の席に座っていたので、いつも左向きで座っていました。先生は私の右隣に黙って座っておられました。
その日、私は一心不乱に実行し、バスの窓から遠くの風景を見続けることにしました。
それしかすべがないのです。
酔うのも吐くのもとても怖くて恥ずかしいことですから。
そうしておりましたら酔わなかったのです。
一心不乱にバスの窓から遠くを見つめているだけでした。
帰りのバスの中では、私は少し自信がつきました。
でも油断はできません。
いつまた気持ち悪くなって吐くかわかりませんから。
バスを降りるまでは油断できないのですから左の窓から遠くを見続けただけです。
酔わずに小学校に帰ることができたのです。
不思議と首は痛くないのです。
なつかしくうれしかった出来事でした。
亡くなった牧野先生のことを思い浮かんだら、私は心の中でお礼を言っています。
そして、私はその「ご恩に報いる」ためにも他の人へ「ご恩の繰り返し」をしたいのです。
きっとあなたのためになります。

