輪廻のとらえかた

( Samurai Road )

この世の生老病死を経て、人は輪廻を繰り返しています。

出会いと別れが、そのエッセンスに彩りを与え、その進展は、過去現在未来をも変化していく可能性を秘めています。

考え方、心の持ちようが自分の未来を変えていくことになります。

このことを気づくのに私は時間がかかりました。

また、その喜びと哀しみと痛みは、人に優しさと深みを与え成長するための天然の肥料となることでしょう。

負の財産ではなく心の糧とすることができるはずです。

心の捉え方で過去は変えることができるということになります。

よって、人生を解く秘密の鍵は、心の持ち方によることになります。

生きること

( Samurai Road )

私の愛する妻が亡くなりました。

私たちは、本当に幸せな夫婦でした。

言葉では言い表せないくらい妻はすばらしかった。

美しく愛らしい人でした。

あれほど心が純粋で人に優しく、気配りがあり、人のために何ができるかをいつも考えている人をいまだかって私は、巡り会ったことがありません。

彼女は霊界のことも私に教えてくれました。

「霊界?」とあなたは、お思いになるかもしれません。

この世に降りてくる以前である霊界での彼女が、どういう立場でどういう存在で、何をしていたかまで私に教えてくれたのです。

霊界にいた頃の私や私の両親を見ていたことまで教えてくれました。

そして、私は両親からこの世に生まれたのです。

そして、私はこの世で成人して妻と結婚しました。

月日の過ぎるのは早く、互いの両親も亡くなっていきました。

私と共に生活している彼女は、自分や私の亡くなった霊界にいる両親とも普通のように話をしていたのです。

もちろん私には、彼女のご両親や私の両親は見えません。

私は霊界のことについては、若い頃から勉強したり、わずかでしたが体験もしていたので不思議には思っていなかったのです。

霊界にいらっしゃる彼女のお母さんとも彼女を通じて話をしたことがあります。

もし、あなたがこのことを信じられない人もいらっしゃるかもしれません。

霊界では、神や天使などの高い領域があり、私たちの知らないさまざまな人たちが存在しているのです。

私たちの想像を超えた世界があるのです。

それを聞いた私は、無限といわれている宇宙というものは、霊界からしたら、ほんの一部なのかもしれないと思いました。

私たちが、輪廻を重ねて、この世に生まれて出会い、別れ、さまざまな体験をするには意味があります。

ですが、私たちは日常生活にとらわれやすいのです。

私たちの生きることの本質と心の底で求めていることの中に人生の妙味があるようです。

そうだとしても現世で幸せに生きていた私たち夫婦のうち、妻がこの世を去っていってしまうと私の心は大きく揺れ動き、私自身の脆さを感じてしまいました。

愛する妻が亡くなってから、一人になったことの落差が大きいのです。

どんな出会いも別れは必ずあります。

去っていく者があれば残される者がいます。

ですから、どうか皆さんは、ご家族やお友達を大事にしてください。

縁とは不思議なものです。

親との縁、家族となる縁、人々との縁。

人は、一人で生まれ、出会いと別れがあり、人々とともに生き、そして一人で死んでいくのです。

でも人は一人ではありません。

何がしか見える見えない人々のお陰で支えられて生きているのです。

孤独感はあっても、本当の孤独では人は生きていけません。

私は幼い頃から、悪さばかりし ては、のちに苦しみ、反省したり、または人に騙されては怒りました。

でも、よく考えてみるとその原因の一部には自分の心と行動の中に自業自得性があることを感じています。

良い人との縁を結んで行くには、それなりの原因結果を遂行していかなければなりません。

人は輪廻転生を繰り返しながら、魂の汚れを磨いて成長していく定めです。

このような情けない今の自分の状態から、脱却しなければならないことを感じています。

私の愛する亡き妻は、生前に「あなたは私の同志です。私はあなたの守護霊になるからね」と私に言ってくれていました。

それほど私たちの絆には深いものがあります。

霊界から、いつも愛する妻が私を見守ってくれているのです。

ですから、私はいつものように明るく元気をだして、この世の私の余生を楽しみ成長したいと思います。

幼い頃、神様に約束した「あること」を私は実行しなければならないと思っています。

輪廻転生の意味

( Samurai Road )

私たちは自らの至らぬ心を磨き、行動しながら学んでいるようです。

どこまでも摂理に感謝し、自分なりの気づきを得られるかどうかだと思います。

自分が生きていることがあたりまえのように思う人は多いかもしれません。

でもあるとき、苦しんだり、つらいとき、自分を振り返ることがあります。

このような機会には、生きていることに何かしらを感じるのです。

宇宙から観たら、こんな目に見えないほどの粒子のような自分が、生まれて死んで輪廻転生を繰り返す意味の内実が観えるかもしれません。

心を磨く

( Samurai Road )

私は、100歳に向かっています。

身体が弱く、コンプレックスの固まりで不安だった自分が、なぜこんなに長生きしているのか不思議です。

いつかは病院に行って、血液検査とか尿検査ぐらいならしようかなとも思います。

病院は、不安な要素があるから、ほとんど行きません。

でも緊急とか応急とか病院のお世話になるのですから、大切な存在ではあります。

どのような分野でもそうですが、お医者さんの心得、力量次第ですよね。

私は、こんな死に近づいている歳になっても、やりたい放題、はちゃめちゃな生活をしております。

先行きはわかりませんが、おかげさまで今のところ、お金にそれほどは不自由していないので、問題は健康と孤独感と最後までの人生のことだけです。

健康は、こんなはちゃめちゃな生活をしている以上、ある程度の限界を覚悟して生きなければなりません。

ちまたでは、寿命、寿命といわれますけれど、私の場合には、多少、健康に気を使っても寿命のことはあまり考えないようにしております。

人生を楽しみたいので、できるだけ健康的に長生きできたらなぁと思うだけです。

ありがたいことに現代は、多角的な情報を得ることが可能な時代になっています。

それを形にするためには、やはりお金と心の持ち方でしょう。

生活を支えるのは、健康とお金と心の持ち方と知り合いということになります。

人によっては母親の体内で亡くなることがありますから、人生は魂の所在である心の持ち方、気づきによると思います。

ですから、どのように心を磨いて幸せになっていくかということが人生のテーマにならざるをえないと思います。

そうなると、はちゃめちゃな生活をしている私は何かしら恥ずかしい気がしているのです。

幸福の中味

( Samurai Road )

私たちが、生きていること。

意味ありて存在しているようです。

仕事内容、お金のあるなし、名声、権力など、本来、上下はないのです。

あるのは生命そのものでしょう。

健康は大事です。

でこの世で生きていく上での心的、肉体的要素が必要です。

ただ、目の前にいつかくる「死」というものとつらさを想定したときのことです。

日常は、そんなことは考えませんけど、意外と「死」を意識することが人生にはあるものです。

誰でも死に向かって生活しています。

すると健康とお金が脳裏をよぎります。

日頃は、生きていくうえでお金は重要ですよね。

「おいおい、それができないから、苦労しているのだ」

健康は、食が重要です。

日本では、私の勝手な想像ですが、紀元前から現在の健康食だったのではないかと考えています。

健康は天地に対する感謝するがゆえに食もまた大事にされていたのです。

現在の世界各地では、日本食がもてはやされていますが、玄米と味噌と野菜や海の産物など簡潔なものは、なんのことはない、古代の日本人が常食としていたものです。

ですから、ほとんど癌などはなかったと想像します。

しかし現代の日本人の多くは、洋食や甘いものを好み健康を阻害しているように見えます。

それに現代のさまざまな添加物や電磁波や他の不健康な要素のすべてを除外できる可能性はありません。

それらの不健康な要素を除外していく可能性のあるものは、一つだけあります。

それが免疫力であり、自然治癒力であり、生命力に他なりません。

それを最大限に高くしようとするのが武士道心体法の最初の目的であり、もっと煎じ詰めれば、この手法を使って人生の勝利者になるべく、心を磨き、自分の欠点や悪いところを直して、人々のために生きながら、精神世界を高めていくことこそが、求める目的になるのです。

健康の元は私たちの歴史の知恵の中にあります。

健康と幸せは切れませんよね。

私たちの幸せは、食による体の健康と心による感謝の中にあります。

日本人はよく頭を互いに下げます。

これはお互いにこの世でこの瞬間に互いに出会えている奇跡さと必然さをともに共有しながら生きていること、何かしら助け合い、励まし合い、楽しみ合い、苦しみ合っているかもしれない、その瞬間を「縁」と思う潜在意識があるからだと思います。

ですから、できないときはしょうがありませんが、人生に苦しんでいたとしても他人にできるだけ頭を下げたり、笑顔を向けて優しく接したいと思うのです。

古人がおっしゃるように人生の幸せは陰徳にあると私も思います。

よって、私はあなた自身のためにあなたに潜む可能性と幸せを高めることを考えたいのです。

その可能性は、心の奥に存在しているのです。

東洋医学の「瀉法」と「補法」の新しい視点

( Samurai Road )

( A new perspective on the Eastern medicine’s “syaho” method of eliminating toxins and “hoho” method of replenishing vitality )

東洋医学ではさまざまなバランスを重視します。
「瀉法」と「補法」という考え方があります。

身体の調子が悪いときは、わかりやすく言えば「実」であるという判断の時には邪気がたくさんある状態と考えます。
逆に「虚」であるという判断の時には、正気の不足の状態と考えます。
そのどちらかにバランスが崩れている状態は健康を害している状態とみなしているわけです。
つまりそれらのバランスをとれれば健康になっていくという考え方です。
そのためには、「実」の状態のところにある邪気を取り去るために「その邪気を瀉する必要がある」という判断になります。
一方、「虚」の状態の時には「正気の不足を補う必要がある」という判断になります。
つまり、「瀉」(瀉法といいます)とは余分なものを捨てることです。
「補」(補法といいます)とは、足りないものを補うことです。
気で言えば、「実」の判断のところは気の滞りや邪気があると判断しているので「邪気を取り去る、瀉する方法をすることになり、「虚」の判断のところは、気が足りないと判断し「気を補う、補する方法」をすることになります。
私は、癌患者には「補」の概念を治療に持ち込むべきだろうと考えていました。
癌患者は体が弱っている状態だから、何か補ってあげないと死んでしまうという考えがあったのです。
弱っている患者は可愛そうだという認識がありました。
そんな私は、世界的な免疫学である福田ー安保理論に注目しました。

私は福田医師が生前のとき、先生が癌患者に対する治療を目の前で拝見させていただく機会を得ました。

福田医師の治療は、私にとって衝撃的なものでした。

患者の全身に施す、そのあざやかな素早い「瀉血療法」に私は驚きました。
目の前でズバッと余分なものを切り捨てる武士を見るようでした。
{ 私のいままでの考え方は甘すぎていた }と直感しました。
癌になったのにはそれなりの原因があり、東洋医学的には邪気が充満している状態にあることに私は気がついてはいたものの納得がいかなところがあったのです。
癌患者は体が弱っているという思い込みが私にはありました。
そういう患者には「補」(補法といいます)をすべきだと考えていたのです。
食事で言えば、癌に栄養が取られているので体が弱っていて力がない。
だから不足している栄養をどんどん摂れるようにして力をつけてあげたいという気持ちが、不足分を補うという思い込みになり、癌患者には「補」(補法といいます)をすべきだと考えていたのです。

そして、癌体質になっている癌患者という病体のツボや経絡を扱う療法では、効果はあまりないかもしれないとも考えていました。

このことは、上海大学で東洋医学を学んだ知人にも相談してみたところ、彼も同意見でした。

ところが、そうではないのでした。
そのような私の一方的な思い込み、考え方を福田医師は断ち切ってくれたように感じたのです。
{ ここにきて福田医師の治療を見られて良かった } と私は思いました。
しかし、それでもまだ疑問が私には残っていたのです。
この福田医師の見事な瀉血という瀉法の治療を拝見することができた。
けれども、これにはやはり、どこかに補法もする必要があるのではないかとも感じていたのです。
邪気を取り去ろうとするだけではどうだろうか?と。
もし、「余命宣告を受けた非常に弱っている癌患者であれば、この治療に耐えられるだろうか?」という疑問点がわきました。
やはり、瀉法の中にこの補法の概念を取り入れたほうがいいのではないだろうかと私は考えていたのでした。

「瀉法」と「補法」は、身体に刺激を与えて、その反射を利用する東洋医学の概念ですが、それからのさらなる進展がありませんでした。

しかし、免疫学の福田ー安保理論は、新たな可能性を切り開いたと思います。

ここで重要なのは心と体の連携であり、体の体温を36.5度維持したり、それよりも高くすること。

おそらく37度以上にすることです。

そして弱アルカリの体質にしていくこと。

その上で、誰もまだ気づいていない「瀉法」と「補法」の新しい視点、概念を発掘したと思っています。

それは、医学のさらなる可能性を秘めているのです。

小乗と大乗の視点に秘密があるのです。

色々な哀しみや病気でつらく困っている人にも大きな希望があります。

一飯の恩義と報恩

( Samurai Road )


7月19日、夏の強い日差しの中、当時、学生だった私は全生庵の門をくぐりました。
たくさんの蝉の鳴き声が聞こえておりました。
東京の谷中にあるこの全生庵は、山岡鉄舟が1883年、幕末明治維新の国事に殉じた人々の菩提を弔うために建立した寺です。

座禅のできる本堂があります。
私は「武士道」という本で、山岡鉄舟(1836年~1888年)のことを知りました。
山岡鉄舟は1888年7月19日に座禅をしたまま亡くなりました。
鉄舟の残した記述文書類は簡潔。
しかしその深みは海のようでも広がりは天空のようにも感じられます。
調べれば調べるほど驚きの人物です。

まるで日々が命がけとでもいうような生き方をされていたと私には感じられます。
私は敬愛の念がおさまらず、山岡鉄舟の命日にお墓のある全生庵を訪れたのです。
私は日本酒の小瓶をいくつか入れた白いビニールを手にしていました。
お酒の好きだった山岡鉄舟の墓前に持ってきた日本酒を差し上げ、しばし茫然としておりました。

関係する他のお墓にもお参りをした後、本堂横にある事務所のほうに行ってみました。
その日は山岡鉄舟の命日でしたので催し物があるかなと思ったのです。

何か奥の方でやっているようです。
靴を脱いで奥の方に歩いて行くと広い畳の座敷がありました。
そこには背広姿やお坊さんたち(招待客20人以上だったと思います)が、談笑しながらお膳を前にして食事をされていました。
私はもちろん招待はされておりませんでしたし、知り合いがいるはずもありません。
すぐに帰ろうかと思いました。
しかし恥ずかしがりやだったはずの私が、その日だけは違っていたようです。
なんと私は空いている下座のほうに座ってしまったのです。
その広い座敷の上座の方の席には、テレビなどで見覚えのある政治家で、のちに首相になる中曽根康弘氏もお坊さんたちと談笑していました。
私は確かに居心地悪さを感じてはいました。
ところが、私は座っただけでなく目の前に置いてあるお膳の食事を食べ始めてしまったのです。
私のそんな様子にまわりの誰かが気づいていたはずです。
でも誰も私を咎めようとしませんでしたし尋ねようともしませんでした。
そんな私をまわりの誰もが黙って見守ってくれていたのだと思います。

会食している人たちはほとんどが背広姿でしたが、私は貧乏学生らしく白っぽいシャツにジーパン姿だったのを思い出します。
私は食事を終えたあと、誰にも挨拶もせずお礼も言わないで外に出てしまいました。
今思うと恥ずかしいかぎりです。
なんとなく何かしらの不思議さを感じながら全生庵を後にしたのです。
日本の徳川幕府の時代は200年以上もの長い間、鎖国をしていました。
その徳川幕府の幕末当時の世界情勢はアフリカやアジアや多くの地域や国が欧米の人たちによって次々に植民地化されていました。
そして、とうとう日本へもアメリカの黒船が来航したり、ヨーロッパやロシアの使者などが来日してくるようになったのです。

大航海、産業革命以降、産業技術の発達した欧米諸国は、世界各国との力の格差に目をつけて、劣ると見るや、あるいは利益になると判断するやそれらの地域を侵略していったのです。これがのちのちの世界各地の紛争や後に展開する大きな戦争につながる原因の端緒でした。

大東亜戦争を始める日本人の考え方が如実に現れているのを知るには、天皇の発せられた「開戦の詔書」と「終戦の詔書」読むことでしょう。

また日本に旅行に来てくだされば、日本人が昔から和を尊び、紛争や戦争を嫌っているかなどを感じられることでしょう。
幕末期の日本人は、そんな世界情勢に危機感を持ち、武士を中心にして日本を守るべく動き出しました。
かってない激動の時代の始まりでした。
各地の下級武士が、日本を守りたい救いたいというやむにやまれぬ志を胸に生まれ育った藩から脱藩をして情報や人々の集まっている江戸や京都などへと向かったのです。
脱藩は本人だけでなく、家族も罪になることですし、秘密裏に行動しなければなりません。
しかしそれでもいつかは藩や幕府に露見してしまいます。
電車もバスも飛行機もない時代でほとんどが徒歩です。
脱藩したサムライたちは育った藩や幕府の取り締まりなどをかいくぐるしかありません。
普段、人の通らない険しい山々に分け入って身をひそめながら、ひたすら目的地に向かったのです。
彼らは日本を外国列強の侵略から守りたいという一心でした。
その後、国内の各地域で佐幕派、討幕派、攘夷派、尊王攘夷派など主張や立場の違う勢力同士の命を懸けた壮絶な闘いをしました。
そして日本人は驚くべき結果を出しました。
いままで日本の政治を行っていた徳川幕府が、その政治権力すべてを朝廷に返還したのです。

驚くべき偉大な判断です。
大政奉還です。
すると朝廷は政治権力を維新側にすべて委ねることになります。
結果的にいままでの権力側だった幕府が、すべての政治権力を維新側に譲ったことになりますから、おそらく、このような国民の意識と行動などは世界史に例のない出来事だったと思います。
大きな戦いは避けられ、最小限の流血で革命ができたのでした。
明治維新です。

日本は富国強兵を進め、国力をつけていき、欧米列国からの植民地化を防ぎました。

私は幕末維新は日本人の特徴をよく現しており、たいへん学ぶことが多いことに気づきました。
その時代に徳川幕府の幕臣であった山岡鉄舟という武士がいたのです。
私はこの人物はさらに一味違う人のように思えました。
武士であり、剣の道を志しておりましたが、その究極を究めるために禅や書を学びました。
山岡鉄舟の生き方は剣の道を修業をしているようでいて、実は求道者だったと私は直感しました。
晩年には剣の道を究め、とうとう「無敵の極所」を会得しました。
「剣法の秘は万物太極の理を極めること」だといわれました。
「万物太極の理」とは「摂理」だと私はとらえています。
「武士道」の体得者であり提唱者である山岡鉄舟の心事を折に触れて私は考察してきました。

そしてようやく私は「武士道心体法」をあみだしたのです。
これは自らの心の本源、本来の心に気づき、さまざまなことを克服していく手法です。

生老病死の苦しみ、貧困、孤独感など人生の悩みなど不安な毎日をすごしている人たちをなんとか助けたい、癒したいと思い、開発したのが、成功、幸せの手法である「武士道心体法」です。

武士道と同様に人生全般に活用するものです。

私はどちらかというと病気に縁があったのかもしれませんが、「武士道心体法」をがんを癒やす手法に活用してアドバイスをしています。

例えば、がんを徹底的に癒やすために心、身体、技を「武士道心体法的アプローチ」をします。

つまり、できるだけ薬を使わずに免疫力を高めていけばいいのです。

がんは怖くないのです。
がいし人はたとえたくさんの金銀財宝を貯蓄したとしても年を重ねるごとに醜くなり病や怪我などで死んでいくのです。

お金は必要不可欠なものでたいへん役に立つものですが、使い方によれば毒にもなります。しかもあの世には持って行けません。

家族のために残した財産はいつしか消費されてしまうものです。
また組織や国がどんな立派な改革やシステムを構築しても時と共にいつしか崩れ去る方向に向かいます。
私たちはエゴイズムや差別感が蔓延している混沌とした世の中に棲んでいて、人は困難や苦しみや悩みに遭遇してどうしたらいいのか迷っていると思います。
私は宗教者でもなく、霊能者でもなく、学者でもなく、心理学者でもありません。
むしろ幼いころからいいかげんな生き方をしていた人間でした。
コンプレックスに悩み、心だけでなく体も弱々しかったのです。
そういう自分をどうしたらいいのだろうか?という疑問から、さまざまなことを学んでいきました。
しかし宗教や哲学に関する書物、専門書やマニュアル本やたくさんの情報がありますが、それらはその場しのぎであり、土壇場の力にはならないのではないかと考えました。

一方、世の中が、安全で平和な社会を維持するには、莫大なお金がかかり続けます。またシステム構築や法律の整備などしていてもおのずと限界があります。

人は本来の心に目覚めるべきだと思います。

人々は心が変わっていくようになれば、世界の貧困も少なくなり、不条理がより改善されていき、安全で平和がおとずれてくると思いました。

次回には私の開発した「武士道心体法」を説明した「武士道心体法基本」を販売予定にしております。

その後は、「4024年、武士道心体法プラン」を発表したいと思っています。
「神道にあらず、儒道にあらず、仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら部門に於いてその其著しきを見る。鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云う」と山岡鉄舟は説明しています。

若き日の私が山岡鉄舟の建立した全生庵でお墓参りをさせていただいたあと、思いがけない一飯のお世話になったことには意味があったことに気づきました。

人のために生き、死んでいった多くの尊い魂へ報恩したいと思います。

現在および未来の人たちの苦しみや困難を解決するための一助になりつつ人生を終えたいと私は願っております。

今年の夏も私の心には、たくさんのあの蝉の声が聞こえているのです。

新型コロナウイルスに対処する武士道心体法の使い方

( Samurai Road )

武士道心体法は生命の根源に根ざしているものですので、その活用は世事万端に及びます。

古より伝わる秘法を現代に活用したいと願い研究を続けております。
心を澄まし、息を整え、精神を集中していき、様々な、技を活用しながら、生命に潜むおおいなる力を引き出すものです。
最近の新型コロナウイルスや変異種に対して世界の人たちが困っています。
すぐにでも対応しなければ命が危ない人たちもいらっしゃるかとも思います。
医学的な研究が進んでいると聞いておりますし、それはたいへん喜ばしいと思います。
しかし、恵まれない地域の人たちや緊急の対応や手当する機会が遅くなる可能性があると思います。
ですので私の提唱する武士道心体法の活用をご案内いたします。

お金がほとんどかからないか、あるいはとても安くてすみます。
新型コロナウイルスなどでは薬などを活用することは大事だと思います。
しかし最後に助けとなるものは私たちの免疫力、生命力だと思います。
日頃より武士道心体法の練習をしていれば、生活の場でも緊急の際にも活用できることが期待できます。

いままでの暗闇の中にいる悩み大き人はぜひ、学んでいただければ幸いです。

たとえば医学的な分野でも活用できます。
私は心と身体の感性を変えていくことで人体の細胞を活性化させ、免疫力をより高くするのです。
心と身体と病は密接に関係しております。
自律神経は白血球の動きに左右され、白血球の揺れは免疫力に影響を与えています。
私は自律神経や免疫力は心と身体の手法で自律神経および白血球のバランスが良くなり、免疫力が活性化すると考えています。
武士道心体法では呼吸方法により心を落ち着かせ、心の澄まし方により精神を集中させていきます。

それらのことにより自律神経および免疫力を高めることが期待できるのです。
もし呼吸があまりできないのであれば可能の範囲でいいのです。
新型コロナウイルスは今までの免疫力では対処できないことも考えられます。
私は人体に潜む心と身体の力をいかに引き出せるかにかかっていると思い研究しています。

いままでは、ほんの一部の世界でしか知られていない心の活用方法を多くの人々に知らしめたいと思います。

自分の人生の意味と目的、それからその対処方法さえ手に入れば、より幸せな人生に変えることができると思います。
私のいままでの書をよくお読みになっていただければ概要がわかると思います。

困難や病気は人生につきものです。

しかし武士道心体法は困難や危機の際こそ、正念を守り自分を成長させるいい機会だと信じます。

この世にしかない体験や機会を活用し、魂の成長させることが衝天法の目的です。

この武士道心体法は健康のために活用できるのです。

「武士道心体法」(Bushido-shintaiho)

( Samurai Road )

「武士道心体法」(Bushido-shintaiho)は心を極めていくこと、自他ともに成長することを目的としています。

たとえいくたの挫折を経験するとしてもそれらは失敗でありません。
魂に死はなく永遠の成長をしています。
偉大な宗教家たちは宇宙の原理、生命の原理を極め活用することを促しております。
しかしながら、あまりにも森厳であり、現在でも歴史上、数少ない者たちだけが会得し継承を続けているようです。
多くの人たちはその教えがわからないまま誤解をしたり、はたまた悪用したりする者もあらわれるのです。
太古から、人々が神々の教えを崇め奉るのは、その教えには真実があると自分自身にあるアンテナが受信していた証だと思うのです。
ただ自分の心のアンテナを磨いていかなければ真実なり仏心につながる「道」はなかなか見つけることはできません。
言葉や議論しているだけでは「道」から外れてしまう恐れがあります。
私が「武士道心体法」(Bushido-shintaiho)を開発したのは、誰もが仏心を感じ「道」へと促したいと思ったからです。
自らの生命の根源を極める、仏心を会得しようとするその姿勢は貴重なことです。

すぐにできることではありません。
しかし例えば泳ぎもできない人が最初から世界のトップスイマーになることはできません。
最初は体と顔を水につけ、水に慣れることから始めましょう。
しかし慣れてきたら程度の差はあれ、浮くことも覚えるし泳ぎができることでしょう。
それに泳ぐ楽しみも生まれてくるのです。
「生きる」ことを知ることは成長するための土台です。

そこに心の幸せがあるのです。