仏心と武士道と宇宙の原理

日本は一神教の国ではありません。

森羅万象にさまざまな神々を感じて生きています。

白隠禅師は
「私たちは本来「仏」です。しかしそれを知らないで遠くに求める人が多いのははかないことです。仏心は自分自身にあることに気づかなければなりません」と申されております。

人は満たされない心に惑わされている。

心を磨かないで毎日を過ごし、本当の自分というものを知らないで人生を終えているのではないかと思うのです。
私たちは自分を省みて、自分の本当の心の存在に気づくことが重要だと思います。
私は仏心と武士道と宇宙の原理(万物太極の理)には同根のものがあると考えております。
武士道は主にサムライが生死をかけた戦いの中で培われ、日本の歴史の中で醸成されていった道念です。
ここで、その武士道の体現者で提唱者の山岡鉄舟(1836年~1888年)をご紹介したいと思います。
なぜならば「万物太極の理」を会得した人物だからです。

人類にとっても明記すべき一人だと思うのです。
ですので山岡鉄舟の提唱する武士道について、記することは私の喜びです。
ただ私は山岡鉄舟を長年、研究しておりますが、武士道は非常に深遠な理です。
ですので私の理解不足などをお感じになることはあるかもしれませんが、ご了承をお願いいたします。
皆様からのご教授を賜ることがあればありがたいと思います。
なお敬称は略させていただきます。
よろしくお願いします。

山岡鉄舟によると武士道をこう説明しています。
「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。

鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」とあります。
そして剣法について以下のような簡潔な文章があります。
( ) 内は私の意訳ですので参考にしてください。
「夫れ、剣法正伝の真の極意者、別に法なし、
(剣法正伝の真の極意というものは別に法はありません)


敵の好む処に随いて勝を得るにあり。
(敵の好む処に随って勝を得ることなのです)

敵の好む所とは何ぞや。
(敵の好む処とはなんでしょうか?)

両刃相対すれば必ず敵を打たんと思う念あらざるはなし。
(真剣勝負で対決しようとするとき、必ず敵を倒そうとするはずです)

故に我体を総て敵に任せ、敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝といふ。
(しかしながら自分の身体をすべて敵に任せ、敵の好む処に来るに随い勝つことが本当の勝ちというものなのです)

譬えば箱の中にある品を出すに、まずその蓋を去り、細かに其中を見て品を見るが如し、是則ち自然の勝ちにして別に法なき所以なり
(例えて言えば、箱の中にある品物を出そうとするときには、まず蓋をあけ、細かにその中と品物を見るようなものなのです。これがすなわち自然の勝ちというのであり、別に法はないというのはそういうことです)

然りと雖も此術や易きことは甚だ易し、難きことは甚だ難し。
(しかしそうだとしてもこの術は簡単といえばとても簡単ですが、むずかしいことは非常に難しいのです)

学者容易のことに観ること勿れ。
(学ぶ人は容易だと感じたり思わないでください)

即今諸流の剣法を学ぶものを見るに、是と異なり、
(最近、いろいろな流派の剣法を学ぶ者を見ると、これと異なり)

敵に対するや直ぐに勝気を先んじ、
(敵に対するとき、すぐに勝ちたいという気持ちが先んじて)

妄りに力を以って進み勝たんと欲するが如し。
(妄りに力で勢い勝とうとするようなものです)

之を邪法と云ふ。
(これを邪法といいます)

如上の修業は一旦血気盛んなる時は少く力を得たりと思えども、
(このような修業は、一旦、元気のいい時には会得したと思うのでしょうが)

中年すぎ、或いは病に罹りしときは身体自由ならず、
(中年や老年になったり、あるいは病に罹ったときは身体が自由になりませんし)

力衰え業にふれて剣法を学ばざるものにも及ばず、
(力が衰えてしまって、剣法を学んでいない人にさえかなわないものです)

無益の力を尽くせしものとなる。
(このように無益の力を入れようとしているものなのてす)

是れ、邪法を不省所以と云ふべし。
(これが邪法だと理解できず省みていないというべきでしょう)

学者深く此理を覚り修行鍛錬あるべし。
(学ぶ者は深くこの理を覚って修業鍛錬するべきです)

附して言ふ、此法は単に剣法の極意のみならず、
(申し上げますが、この法は単に剣法の極意だけではありません、)

人間処世の万事一つも此規定に失すべからず。
(人間の処世のすべてはこの規定から外れることはありません)

此呼吸を得て以て軍陣に臨み、之を得て以て大政に参与し、
これを得て以って教育宗教に施し、これを以って商工農作に従事せば、往くとして善ならざるはなし。

(この呼吸を会得して軍事に臨み、これを得てもって政治に関与し、これを得てもって教育宗教に施し、これをもって商業や工業や農業などに従事すれば本当により良く事は進むのです。)

是れ余が所謂、剣法の秘は、万物太極の理を究めると云う所以なり。」
(これが私がいわゆる、剣法の秘儀は、万物太極の理を究めることだと言っている所以なのです)

私は、スポーツではなく、互いが刃を向けて真剣勝負を行うことを想像しただけで、異次元を感じています。スポーツは緊張することはありますが、場合によっては楽しいものです。

しかしながら、先の命の保証がない真剣勝負においては、次元が違います。

人生は、一度きりのいつ死ぬか、いつかは死ぬ掟のものです。

すると、見えてくるかもしれませんよね。

ありがたい。

明治十五年一月十五日
山岡鉄太郎

以上です。


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