私が死の淵から学んだこと

もし、あなたが不安や苦しみや寝たきりになって、「もう、だめだな?」とか、そして「もう、死ぬな」とお思いになったときに、お考えになっていただきたいことがあります。

できれば、そうならないうちに考えていただきたいことがございます。

それはあなた自身のことについてです。

そういうときこそ、自分のことを振り返る時間があります。

私もそうでした。

人は、いつかはそうせざるをえないときが必ずあります。

それが、私には何度かありました。

第一回目は私が幼いときに起きました。

病を甘く考えていました。

「何かわからない病気のようだか、しばらくすると治るだろうし、治してやる」と軽く考えていたのです。

ところが、何日経っても治らないどころか、食はしだいに細くなって、とうとう何も食べられなくなり起き上がるのがしんどくなりました

ついには、夏だというのに水さえほしくならなくなったのです。

強気でいたはずなのに、どんどん弱気になっていきました。

天井や壁を見つめては、いつのまにか眠り、そして目覚めては考えにふけり、疲れてはまた眠る日々が続きました。

不安がどんどん増していきました。

私の心が弱気へと向かっていったのです。

そのような「虚」をつきつめていくとその「虚」さえ、死の前では、自我のかけらなのでした。

ついには「死」を覚悟する状態であることを感じました。

そして、とうとう私はある決断をすることになりました。

するとしばらくして、何かがうごめいているのを感じました。

それは、今思うと生命のうごめきだったと思います。

断食状態になっていることが、私の命を救ってくれたということもあるでしょう。

しかし、それだけではなかったのです。

なぜならば、そのときに私は「私の使命」を「生命」から受け取ったのを感じたからです。

その「言葉」が自分の口から出たのには驚きでした。

不思議な体験でした。

人は、生きていることの中に意味があり、どこかで「使命」を感じるときが来ることでしょう。

この体験が、私が死の病から助かったこと以上の驚きであり、神秘でした。

これは、私が幼いときに病から学んだことです。

現代は身体に悪いもの、身体に良いものの情報が溢れていて自分なりに活用することができます。

飲食物、生活環境、呼吸、運動などについて。

そのためには、お金が必要になります。

それが目的ではないにせよ、人は健康や長寿や楽しみなどを願うものです。

生活する不安を無くし楽しみたいからです。

そのためには、戦術よりも戦略が必要であり、そして心の持ち方が大事だと思います。

心は体を司るのです。

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