私は、100歳に向かっています。
身体が弱く、コンプレックスの固まりで不安だった自分が、なぜこんなに長生きしているのか不思議です。
いつかは病院に行って、血液検査とか尿検査ぐらいならしようかなとも思います。
病院は、不安な要素があるから、ほとんど行きません。
でも緊急とか応急とか病院のお世話になるのですから、大切な存在ではあります。
どのような分野でもそうですが、お医者さんの心得、力量次第ですよね。
私は、こんな死に近づいている歳になっても、やりたい放題、はちゃめちゃな生活をしております。
先行きはわかりませんが、おかげさまで今のところ、お金にそれほどは不自由していないので、問題は健康と孤独感と最後までの人生のことだけです。
健康は、こんなはちゃめちゃな生活をしている以上、ある程度の限界を覚悟して生きなければなりません。
ちまたでは、寿命、寿命といわれますけれど、私の場合には、多少、健康に気を使っても寿命のことはあまり考えないようにしております。
人生を楽しみたいので、できるだけ健康的に長生きできたらなぁと思うだけです。
ありがたいことに現代は、多角的な情報を得ることが可能な時代になっています。
それを形にするためには、やはりお金と心の持ち方でしょう。
生活を支えるのは、健康とお金と心の持ち方と知り合いということになります。
人によっては母親の体内で亡くなることがありますから、人生は魂の所在である心の持ち方、気づきによると思います。
ですから、どのように心を磨いて幸せになっていくかということが人生のテーマにならざるをえないと思います。
そうなると、はちゃめちゃな生活をしている私は何かしら恥ずかしい気がしているのです。