東洋医学の「瀉法」と「補法」の新しい視点

( A new perspective on the Eastern medicine’s “syaho” method of eliminating toxins and “hoho” method of replenishing vitality )

東洋医学ではさまざまなバランスを重視します。
「瀉法」と「補法」という考え方があります。

身体の調子が悪いときは、わかりやすく言えば「実」であるという判断の時には邪気がたくさんある状態と考えます。
逆に「虚」であるという判断の時には、正気の不足の状態と考えます。
そのどちらかにバランスが崩れている状態は健康を害している状態とみなしているわけです。
つまりそれらのバランスをとれれば健康になっていくという考え方です。
そのためには、「実」の状態のところにある邪気を取り去るために「その邪気を瀉する必要がある」という判断になります。
一方、「虚」の状態の時には「正気の不足を補う必要がある」という判断になります。
つまり、「瀉」(瀉法といいます)とは余分なものを捨てることです。
「補」(補法といいます)とは、足りないものを補うことです。
気で言えば、「実」の判断のところは気の滞りや邪気があると判断しているので「邪気を取り去る、瀉する方法をすることになり、「虚」の判断のところは、気が足りないと判断し「気を補う、補する方法」をすることになります。
私は、癌患者には「補」の概念を治療に持ち込むべきだろうと考えていました。
癌患者は体が弱っている状態だから、何か補ってあげないと死んでしまうという考えがあったのです。
弱っている患者は可愛そうだという認識がありました。
そんな私は、世界的な免疫学である福田ー安保理論に注目しました。

私は福田医師が生前のとき、先生が癌患者に対する治療を目の前で拝見させていただく機会を得ました。

福田医師の治療は、私にとって衝撃的なものでした。

患者の全身に施す、そのあざやかな素早い「瀉血療法」に私は驚きました。
目の前でズバッと余分なものを切り捨てる武士を見るようでした。
{ 私のいままでの考え方は甘すぎていた }と直感しました。
癌になったのにはそれなりの原因があり、東洋医学的には邪気が充満している状態にあることに私は気がついてはいたものの納得がいかなところがあったのです。
癌患者は体が弱っているという思い込みが私にはありました。
そういう患者には「補」(補法といいます)をすべきだと考えていたのです。
食事で言えば、癌に栄養が取られているので体が弱っていて力がない。
だから不足している栄養をどんどん摂れるようにして力をつけてあげたいという気持ちが、不足分を補うという思い込みになり、癌患者には「補」(補法といいます)をすべきだと考えていたのです。

そして、癌体質になっている癌患者という病体のツボや経絡を扱う療法では、効果はあまりないかもしれないとも考えていました。

このことは、上海大学で東洋医学を学んだ知人にも相談してみたところ、彼も同意見でした。

ところが、そうではないのでした。
そのような私の一方的な思い込み、考え方を福田医師は断ち切ってくれたように感じたのです。
{ ここにきて福田医師の治療を見られて良かった } と私は思いました。
しかし、それでもまだ疑問が私には残っていたのです。
この福田医師の見事な瀉血という瀉法の治療を拝見することができた。
けれども、これにはやはり、どこかに補法もする必要があるのではないかとも感じていたのです。
邪気を取り去ろうとするだけではどうだろうか?と。
もし、「余命宣告を受けた非常に弱っている癌患者であれば、この治療に耐えられるだろうか?」という疑問点がわきました。
やはり、瀉法の中にこの補法の概念を取り入れたほうがいいのではないだろうかと私は考えていたのでした。

「瀉法」と「補法」は、身体に刺激を与えて、その反射を利用する東洋医学の概念ですが、それからのさらなる進展がありませんでした。

しかし、免疫学の福田ー安保理論は、新たな可能性を切り開いたと思います。

ここで重要なのは心と体の連携であり、体の体温を36.5度維持したり、それよりも高くすること。

おそらく37度以上にすることです。

そして弱アルカリの体質にしていくこと。

その上で、誰もまだ気づいていない「瀉法」と「補法」の新しい視点、概念を発掘したと思っています。

それは、医学のさらなる可能性を秘めているのです。

小乗と大乗の視点に秘密があるのです。

色々な哀しみや病気でつらく困っている人にも大きな希望があります。

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