私たちが、生きていること。
意味ありて存在しているようです。
仕事内容、お金のあるなし、名声、権力など、本来、上下はないのです。
あるのは生命そのものでしょう。
健康は大事です。
でこの世で生きていく上での心的、肉体的要素が必要です。
ただ、目の前にいつかくる「死」というものとつらさを想定したときのことです。
日常は、そんなことは考えませんけど、意外と「死」を意識することが人生にはあるものです。
誰でも死に向かって生活しています。
すると健康とお金が脳裏をよぎります。
日頃は、生きていくうえでお金は重要ですよね。
「おいおい、それができないから、苦労しているのだ」
健康は、食が重要です。
日本では、私の勝手な想像ですが、紀元前から現在の健康食だったのではないかと考えています。
健康は天地に対する感謝するがゆえに食もまた大事にされていたのです。
現在の世界各地では、日本食がもてはやされていますが、玄米と味噌と野菜や海の産物など簡潔なものは、なんのことはない、古代の日本人が常食としていたものです。
ですから、ほとんど癌などはなかったと想像します。
しかし現代の日本人の多くは、洋食や甘いものを好み健康を阻害しているように見えます。
それに現代のさまざまな添加物や電磁波や他の不健康な要素のすべてを除外できる可能性はありません。
それらの不健康な要素を除外していく可能性のあるものは、一つだけあります。
それが免疫力であり、自然治癒力であり、生命力に他なりません。
それを最大限に高くしようとするのが武士道心体法の最初の目的であり、もっと煎じ詰めれば、この手法を使って人生の勝利者になるべく、心を磨き、自分の欠点や悪いところを直して、人々のために生きながら、精神世界を高めていくことこそが、求める目的になるのです。
健康の元は私たちの歴史の知恵の中にあります。
健康と幸せは切れませんよね。
私たちの幸せは、食による体の健康と心による感謝の中にあります。
日本人はよく頭を互いに下げます。
これはお互いにこの世でこの瞬間に互いに出会えている奇跡さと必然さをともに共有しながら生きていること、何かしら助け合い、励まし合い、楽しみ合い、苦しみ合っているかもしれない、その瞬間を「縁」と思う潜在意識があるからだと思います。
ですから、できないときはしょうがありませんが、人生に苦しんでいたとしても他人にできるだけ頭を下げたり、笑顔を向けて優しく接したいと思うのです。
古人がおっしゃるように人生の幸せは陰徳にあると私も思います。
よって、私はあなた自身のためにあなたに潜む可能性と幸せを高めることを考えたいのです。
その可能性は、心の奥に存在しているのです。