平和の道しるべは人生の意味のもとにあります。


人生の意味と人類の将来は明るい。

しかしあまりにもテーマが大きすぎて考察に及ぶことではないと思っていましたが、そうではないと思っています。偉そうにいいたくはないのですが、実は共通する柱みたいなものがあるのです。

人生の意味は自分磨きの旅みたいなものです。

人は人を恋しがり生存のためにも人々が集まります。人が多くなってくると村や町を形作り民族の歴史が始まります。いいことだけではなく、グループ内でときにいざこざがはじまります。ところがこのごたごたがややこしい。いつかはいざこざが大きくなってくることがあり、ついには紛争や戦争まで人類はやらかしてしまうことがあるのです。紛争も戦争も始まりはいつも一部の人たちのいざこざから始まります。ところが一部の人たちの特に利害関係のあるいざこざが意図をもって組織づくって拡大させる方向に向かわせることがあります。まわりのあまり関係ない人間までも巻き込もうとしていくのです。国民まで巻き込もう、同調させようとするのです。ここに戦争の始まりの原型があるように考えています。

誰も自分が死ぬ恐れがあったり他人を殺そうなんてしたくもないのに激情が勝っている利害関係のある少数の人たちの思惑に乗せられて民族や国民が巻き込まれて戦争まで始めてしまうのです。いままで関係のなかった人たちまで巻き込まれていざこざが大きくなってあおられて戦争は嫌いなのに国民はいつのまにか巻き込まれて人殺しをしてしまう状況になっていく。

これが他からの紛争や戦争をしかけられたので防御するために闘うことはならば納得がいく話です。

しかし普通の戦争は違う。激情がかさなった利害関係のある少数の人たちのいざこざから始まった騒ぎが民族や平和な国民まで巻き込もうと意図して大きくなってしまっただけのことだったのです。戦争するぐらいなら耐え忍ぶことはできたはずなのです。

ふつうは誰でも人殺しなんかしたくない。

せっかくの人生の自分磨きの旅に出てきた人たちが戦争で人殺しまでして終わることもあるんですから罪なことです。

しかし戦争をしていても始まりがあれば、いつか戦局が決まって終結する。いまだに長く紛争が続いているところもありますが平常に戻れば戦争に巻き込まれた人たちは目が覚めていくものです。「なんで人殺しをしてしまったんだ。戦争は絶対してはいけない」と。

人殺しと戦争の話になってしまったけれど、人生の意味があるかぎり人類の将来はあくまでも明るいのです。平和の道しるべは人生の意味のもとにあります。

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