幕末明治時代に京都の天龍寺の 滴水和尚が山岡鉄舟に与えた禅の公案「両刃鉾を交えて避くるをもちいず、好手還りて火裏の蓮に同じ。宛然おのずから衝天の気あり」に私も興味をそそられました。
私は幼いときの死ぬような病気のときの体験があるものだから、この「両刃鉾を交えて、、、」の禅の公案が気になってしかたがなかった。
真剣で立ち会う二人の剣士。
竹刀で打ち合うのならまだ余裕がありますが、互いに真剣で切り殺されるかわからない緊張を想像します。
相手を斬り殺さなければ、こちらが死ぬことになるかもしれません。
そんなときに人は「無」になりえるものでしょうか?
つまり、人間の最大の弱点である恐怖、鋭利な日本刀が自分に向かってくるという死の恐怖に対してどう対処するかにかかっているのです。
これさえ解決できれば、人生に不安はなくなるでしょう。
これが禅の公案です。